地方のスゴイ浪人生たち

合格発表 思い出

北海道のスゴイ人たち

北海道からやってきた2人の浪人生もスゴイ人たちでしたね。ひとりは医者、もうひとりは弁護士になるべく、それぞれ東大と慶応の医学部、東大の法学部をめざしていました。

夜には大学生の大きな部屋で大学生と予備校生がよく酒飲みをしましたが、そこでケンケンガクガクと議論される政治問題(主に1970年に日本で初めて開催された大阪万国博覧会の政治的な意義について)などに、バレーボールしか知らない田舎者の私にはチンプンカンプン。同じ年なのにあまりにもレベルが違い過ぎることに、またもカルチャーショック。

結局、その年(1969年)は大学紛争のあおりで東大が初めて入試を中止、弁護士をめざしていた北海道の彼は京大の法学部へ、医者をめざしていたもうひとりの彼は東大がダメになったうえ、慶応の医学部も落ちたので、2浪すると言っていました。

将棋ばかりしていたもうひとりのスゴイ奴

さらに、数部屋先にいた鳥取出身のT君にも、またまたカルチャーショックを受けました。東大(学部は忘れた)をめざしていた彼は、大の将棋好き。ポッチャリ体型の彼はノッシノッシと私の部屋に来て、「 盛々男くーん、ショーギやろー」と誘うのでした。彼の田舎から送られてきた果物などをもらっていた私としても、むげに断るのも悪いので、できる限りお相手をしました。

それにしても、詰め将棋などもやっていたらしい彼は、いったいいつ勉強していたんだろう。この彼も東大がダメになったので、滑り止めとして受かった早稲田大の政経学部には行かず、2浪すると言っていましたね。

まったくスゴクない私の入試

そんなこんなの10ヵ月にわたる浪人生活も終わりに近づいた1969年2月、いよいよ東京の私立大学の入試が始まりました。最初の入試は第一志望の上智大学。

入試当日は下宿屋のおばさんに特別に弁当を作ってもらい、四ツ谷駅を降りて上智大に向かっていたところ、あの高い土手に大勢の父兄が寒さで体を震わせながら、子どもの入試を見守っているではありませんか。「なにやってんだろー」と冷ややかな目を向けながら、上智大の門をくぐりました。

上智大の英語は問題の数がものすごく多く、しかも面倒くさい。いろいろな予備校の模試では一応A判定でしたが、実際の入試に臨むとそうした自信もこなごなに。でもとりあえず、入試だけは無事に終わりました。

受かったのはジョウチ大学

それから数週間たった合格発表の日。たまたま別の大学の入試と重なったため、下宿屋の浪人生仲間に見に行ってもらいました(自分で行く勇気がなかったので、ちょうどよかった)。

そしてその日の入試を終えて下宿屋に戻り、部屋に入ったら、こんなメモ用紙が机に置いてありました。
「情痴大学、おめでとう」
10ヵ月にわたる浪人生活が終わった瞬間でした。

次回へ続く

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