男も女も平等に四年制大学へ

暮らし・文化

貧困が大学生の大きな問題に

最近では大学生の半数近くが奨学金を借りて学費や生活費をまかなっているが、新型コロナウイルスの感染拡大で飲食店のアルバイトもままならない厳しい現実が伝えられている。以前ならば大学生の大きな関心は主に就職に関するものだったが、今ではそれに加えてアルバイトの有無や貧困の問題も加わってしまった。

その背景には子どもを大学に進学させる親の収入の減少、大学の学費の高騰、問題だらけの今の奨学金制度という3つの原因があり、それらが重層的に多くの大学生にのしかかり、状況を深刻化させている。ただ、それらの3つの問題についてはインターネットや週刊誌、専門書などでも頻繁に取り上げられているので、詳しく知りたい方はそれらを参考にしてください。

これから述べていくのは、3人の子ども(女・女・男)を大学に進学させた親として筆者が味わったいろいろな経験、それについての感想や考えなどである。そうでなければ、それほどリッチではなかったわが家が貧乏になるのを覚悟で、3人の子どもを四年制大学に進学させようとしたモチベーションが説明できないからだ。

進学する大学の絞り込み

団塊世代よりも少し下の昭和生まれの筆者は、会津のK市の普通高校に入学したが、3年生の前半まではバレーボールに夢中だった。自校は福島県内でもそれほどハイレベルの高校ではなかったが、それでも生徒たちの間では大学進学は一応既定路線となっていた。

高校に入学した当初から英語には興味があり、NHKのテレビ英会話などを見ていたこともあり、高3までに大学の専攻は英語にしようと決めていた。そして次のような条件を満たす大学に絞っていった。

  1. 高3では私立文系コースを選んだので、入試科目には数学がなく、英語・国語・社会で受験できる大学
  2. 東京に大きくあこがれていたので、できれば東京のど真ん中にある大学
  3. 英文学ではなく、実用的な英語が学べる学科・学部のある大学

この3つの条件を満たす大学はひとつしかなかった。JRと地下鉄丸ノ内線が停車する四ツ谷の上智大学で、学部は外国語学部英語学科。しかし、いろいろと調べたところ、かなりの難関大学であり、自校からそこに進学した生徒はだれもいなかった。かといって、どれだけ考えてもそれ以外の選択肢はなく、「とにかくやってみよう」と腹をくくった。もちろん現役では100%ムリだったので、浪人は想定済みだった。

こうした覚悟を抱いて上京し、丸ノ内線茗荷谷(みょうがだに)に下宿して、御茶ノ水駅近くの小さな予備校に通った(これについては「思い出」の記事で詳述した)。ラッキーなことに一浪でなんとか希望の大学に入ることができ、その後に引っ越した京王線つつじヶ丘のアパートから上智大学に通学した。

難関大学の狭き門を勝ち抜いた女子たち

当時の外国学部英語学科は3クラス(各50人)で、男子2クラス、女子1クラスだった。それにしても、女子の定員はわずか50人、その狭き門に全国から希望者が殺到するのだから、その競争を勝ち抜いた女子たちのレベルはすごかった。名門女子高の出身者のなかには、英語とフランス語ができる女子も少なくなかった。「四大に行くのは男だけで、女はせいぜい短大か専門学校でよい」という考えがほとんど常識になっていた田舎から出てきた筆者にとって、この現実はかなりのカルチャーショックだった。

その後の4年間に女子クラスの人たちと友だちになったが、付き合ってみるとそれほど優秀な彼女たちもごく普通の女性であり、そうしたことも大きな驚きだった。こうした経験に照らせば、知的レベルにおいて、またおそらくトータルでも、男が男であるという理由だけで女よりも優れているという事実はまったくない。

コロナ禍は日本の男尊女卑の文化を変えられるか

今でも根深い日本の男尊女卑の風習は男たちによって作られたものであり、男が自らの考えを変えようとしないかぎり、この悪弊(あくへい)的な文化がなくなることはないだろう。わが家が貧乏になるのを覚悟で、娘も息子も平等に四年制大学に進学させようと思った背景には、私が大学生のときに受けたこうしたカルチャーショックが大きく影響している。

最近では日本企業に深く根づいていた終身雇用と年功序列は崩壊したといわれるが、それはウソである。多くの女性を非正規労働に張りつけることで、男中心のそうしたビジネス社会を維持してきたことは、男女間の大きな賃金格差を見ても明らかである。しかし、今回のコロナ禍によって堅固そうに見えるそうした雇用の仕組みも次第に揺らいでいくだろう。テレワークやリモート会議などに見られる多様な働き方は、主に男によるモノづくり中心の日本の産業構造を大きく変えていくのは間違いない。

次回へ続く

コメント

タイトルとURLをコピーしました