わが家の墓じまい(続)

海洋散骨 暮らし・文化

お墓ってなに?

前回はわが家の墓じまいについて大きな流れを記しましたが、実際にはいろいろな迷いや少し難しい問題もやはりありました。そのひとつは仙台にいる姉の反対でした。先祖代々というよりは仲良しだった父(40年以上前に病死)と数年前に亡くなった母の遺骨が納められているお墓がなくなれば、この生家に来たときに自分を生み育ててくれた両親に手を合わせる場所がなくなるというものです。なるほど、これは当然の言い分です。でもよく考えてみると、姉は親しい友人のいるこのK市と生家には年に数回来るのですが、墓参りに行ったとはまったく聞いていません。また、3人の子供たちも年に何回かは帰省しますが、墓参りはしたことがありません。

お金がかかる墓じまい

一般に墓じまいとは、①墓石を撤去して更地にし、墓地の管理者(自治体や菩提寺など)に返す、②埋葬されていた遺骨を新しい場所に移す-ことをいうようです。新しい場所とは新しく作った墓、永代供養墓、納骨堂、樹木葬の墓地などです。わが家も小さな区画の市営墓地に遺骨を移すことを検討しましたが、その改葬手続きがものすごく煩雑。さらに新しい墓石の購入や市営墓地の永代使用料・管理費などを試算したところ100万円以上かかることが分かりました。一方、近くには永代供養墓や納骨堂、樹木葬の墓地もなく、これらを使う可能性はほとんどありません。

遺骨ってなに?

それではいったい、墓に納められている遺骨とはなんなのでしょうか。「~、ここに安らかに眠る」とはよく言われますが、「ここ」とはその墓地であるのは分かるとして、「~」とは遺骨のことでしょうか。遺族が火葬場から持ち帰る遺骨について、 NHK出版新書 の「さまよう遺骨」にはこのように書かれています。

東日本では遺骨はすべて持ち帰り、西日本では一部だけを持ち帰ってほとんどを火葬場に置いてくる。そして火葬場に残された遺骨は、廃棄物として業者が処分している。

出典元:さまよう遺骨 | NHK出版新書

廃棄物化する遺骨

そういえば、墓じまいをして5柱(はしら)を菩提寺に預かってもらうとき、骨壺に水が入っていたので手作業で水空けをしました。それらの骨壺の大きさ・重さといったら…。しかも作業中にどれが父親の骨壺なのか分からなくなってしまいました。こうした経験をすると、遺骨がその故人であるという思い・感じはあまりなくなりますね。「さまよう遺骨」などを読むと、もはや今の日本では多くの遺骨が廃棄物になっているという現実を認めざるを得ません。

人間の帰る場所は海

陸地に散骨するときは、一般には墓地に、しかも遺骨を粉末状にして散骨するしかありません。わが家にはもう墓地はないし、たとえあったとしても、自分または業者がミキサーなどで遺骨を粉末状にするというのはあまり現実的ではありません。そうすると、残る選択肢は専門業者によって海に散骨してもらうしかないのではないか。換言すれば、今の日本では死んだあとに自然に帰る場所は海しかないということ。そして故人とその思い出は遺族の心のなかにしか残されていないのではないでしょうか。

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