頭でっかち株式投資家のトホホな話(続-その1)

チャート 株式投資

投資より相場のほうがしっくり

前回はチノンという二流株を買ったことで、チミモウリョウがうごめく株の世界に足を踏み入れたことを記しました。それから40年以上にわたり株という化け物に人生を振り回されるのですが、自分的にはどうも「投資」というコトバがしっくりこないのです。わたし的にはやはり株は「相場(そうば)」と言ったほうが自然な感じがします。

いろいろな株の本を読み、自分で株価を記録し、実際にいろんな株を売買してきた経験に照らすと、株にカネを投じるというのは「投資をする」というよりは「相場をやる」という感じですね。

結果は大きな赤字

それではいったい、40年にわたり株を売買してきたことで利益を上げられたのか、つまり儲かったのか。株式売買の記録はつけてきたつもりですが、その量が膨大になりすぎて、ほとんど捨ててしまいました(たぶん、見たくもなかったのかも)。でも感じとして、収支トントンというよりはマイナスですね。

それよりも購入した株の本や資料、チャート誌、チャートデータのほか、株価の記録やチャート作成に費やした膨大な時間・エネルギーなどをコストに換算したら、損失が何百万円にも上るのは確実です。つまり、40年間にわたる株式売買の収支は、何百万円の赤字ということです。

大切なのは論理よりもセンス

それにしても、40年にわたり株をやってきてつくづく感じるのは、この世界は本当にセンス、フィーリング、勘のない人間は生き残れないんだなということ。言い換えると、論理的に考えたり、勤勉・辛抱・忍耐などが好きな人は株には向かない、つまり儲けられない世界ではないかと思います。

相場の深いことを知ったのが大きな収穫?

でも、延々と株をやってきて良かったと思うこともいろいろありますよ。経済の動きに敏感になる、どうして株がそんな動きをするのか頭を使って考えるようになる、損をしないようにいろいろなリスクのセンスを磨かざるを得なくなる……。

それにつけても、相場の世界は本当に深いですね。そのことを知ったことが、実は相場をやってきたことの最も大きな収穫なのかもしれません(うーん、でも正直言って、自分に無理にそう思い込ませている部分は多々ある)。

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