多死社会で深刻化する火葬場の不足

lack-of-crematory 社会問題

憂慮される2025年問題

2025年問題が注目されている、というよりも深く懸念されている。この年には巨大な人口の塊(かたまり)である団塊の世代800万人全員が75歳以上、いわゆる後期高齢者となり、社会のあらゆる面に大きな影響を及ぼすからだ。

しかもその影響はプラスのものはほとんどなく、マイナスのものばかりである。国民の4人に1人が75歳以上になれば、特に医療・介護・年金などの社会保障に及ぼす影響は甚大である。その結果、この年には現役世代の保険料率は31%に達すると予想される。

日本はこれまで65歳以上の高齢者の割合が全人口の7%を超えた高齢化社会、14%を超えた高齢社会、21%を超えた超高齢社会というプロセスをたどってきた。日本が最初の高齢化社会に足を踏み入れたのは1970年、その24年後の1994年には高齢社会、それから13年後の2007年に超高齢社会とペースを速めながら老人国へ移行し、2025年には高齢化率がついに28%を超える「超超高齢社会」に突入する。そしてその後に訪れるのが、毎年多くの老人が亡くなる「多死社会」である。

多死社会がもたらすもの

2025年には年間の死亡者が約160万人に達すると予想されるが、これは福岡市クラスの大都市が毎年消えていくことを意味する。しかし、われわれ人間は虫などと違って、年や季節が変わればどこともなく自然に帰ることなどはできない。ほとんどの人は斎場(葬儀を行う施設)と火葬場にお世話になり、最後は墓に落ち着く。もっとも最近では、海洋散骨により海に向かう故人も増えてきた。

こうした流れがスムーズに進めばなんの問題もないが、多死社会ともなればそれも難しく、問題はかなり複雑になる。日本が多死社会に本格的に突入するのは2025年であるが、すでに2016年には毎年の死亡者数は130万人を突破し、2020年には138万人強、2021年には145万人を超え、斎場ととりわけ火葬場の不足が深刻化している。

今の日本では身内などが亡くなればその遺体を葬儀社の霊安室に安置してもらうが、火葬場の予約が取れないと通夜や告別式の日程も立てられない。日本では火葬場の予約はほとんど葬儀社しかできないが、それぞれの火葬場では火葬炉の数も、1日に火葬できる遺体の数やその時間も決まっている。

深刻化する火葬場の不足

例えば東京では、2015年時点で毎日300人の人が亡くなっているが、都内にある火葬場は10数ヵ所。この死亡者数をこなすにはひとつの火葬場で毎日約20人を火葬しなければならない。しかし、1人の遺体を火葬するのに40分~2時間ほどかかるため、火葬炉1炉で1日に3~4体が限度であるという。このように火葬場の不足が特に深刻化しているのは東京圏のような大都市部である。

厚生労働省が2018年10月に公表したデータによると、人口10万人当たりの火葬場の数は全国平均で1.13であるが、東京都は0.19、神奈川県0.21、埼玉県0.29などと、東京圏の火葬場不足は極めて深刻である。これらの地域では遺体が火葬されるまで1週間~10日も待たなければならないという。

こうした長い火葬待ちのときに起こるのが、遺体をどのように保存するのかという問題である。遺体はそのままにしておくと日に日に傷んでいき、特に夏場は腐敗が急激に進んでしまう。その一方で冷蔵施設を備えた霊安室を持つ葬儀社は限られており、そうした設備を持たない中小の葬儀社では夏場でもドライアイスを詰めて遺体を保存している。

難しい嫌悪施設の新設

このため最近では火葬のときまで遺体を保管してくれる「遺体ホテル」が大きな人気を集めている。これは遺体の安置場所に困っている「葬儀難民」のニーズにうまく応えた施設であり、普通のホテルと同じくらいにきれいな内装が施されていたり、また遺族が宿泊したり、施設内で通夜や告別式を営めるサービスも提供している。しかし、近隣の住民の間では「においが心配だ」「車がホテルに来るとまた死体が運ばれたのかと嫌な気分になる」など、その評判はあまりよくないようだ。

それならば火葬場を新設すれば火葬場不足の問題は解消するのではないかと思われるが、事態はそれほど単純ではない。不動産業界では遺体ホテルと同じように、火葬場も典型的な「嫌悪施設」になっており、火葬場が近くにあるとその周辺の不動産は20~30%ほど安くなるという。

したがって、火葬場の建設計画を立てても近隣住民が猛反対したり、またそれなりの広い敷地を確保する必要もあるが、そうした条件を満たす土地を見つけるのはかなり難しく、火葬場を新設する計画が実現する可能性はかなり低い。

こうした状況を受けて、最近では混雑する都市部での火葬を避け、地方の空いている火葬場を利用する動きも一部で見られる。しかし、遺体を運ぶための棺(ひつぎ)の搬送費用、葬儀に参列する遺族らの交通費などの問題もあり、こうした動きが広く普及するかどうかは分からない。

死亡する老人の急増によって火葬場の不足がさらに深刻化すると、都市部で増えている葬儀を営まずに直接火葬する直葬(ちょくそう)でさえも難しくなるだろう。日本がこれから迎える多死社会とは、いわば八方ふさがりの迷宮社会ともいえるものである。

次回へ続く

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