大学で学んだことはその後の人生でペイするのか

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大学進学における3つの選択肢

この記事で述べるのは、わが家のように地方に住む並みの経済レベルの家庭が、子どもを東京の私立大学に進学させることを前提にした話である。したがって、地方または東京に住む富裕層の家庭とは状況がまったく異なるので、この点を念頭に置いて読んでください。

現在、わが家のような地方の普通の家庭が子どもを東京の大学に進学させるには、次の3つの選択肢しかないと思う。

  1. 貧乏になるのを覚悟して、子どもの学費+生活費のすべてを親が負担する。
  2. 子どもが学費+生活費のすべてを奨学金+アルバイト収入でまかない、大学を卒業したあと、15~20年かけて何百万円にも上る学生ローンを返済し続け、貧乏と隣り合わせの人生を送る。
  3. 大学の学費+生活費を親の仕送りと子どもの奨学金+アルバイト収入で分担し、親と子がそれぞれの貧乏の程度を引き下げる。

ところで、この国にとって有用な人材を育成するという壮大な目的のために設立された日本育英会は2004年に廃止され、奨学金事業は現在の日本学生支援機構(JASSO)に継承された。長女が大学に入学したのは2001年なので、大学生に奨学金を支給していたのはまだ日本育英会だった。

その奨学金の受給条件などについては高校側もまったく説明しなかったし、おそらくわが子はその条件をクリアできなかったと思う。銀行の教育ローンは知っていたが、自営業という不安定な仕事ゆえに、やはり利用するのはためらわれた。こうした理由から、わが家では必然的に(1.)の方法を選択するしかなかった。

それぞれ2歳違いの3人の子どもの大学進学は2001年から始まり、学費と生活費の仕送りは8年続いた。この8年間は一言でいうと「悪夢」であった。私の仕事の収入はもとより、預貯金、学資保険、生命保険の解約返戻金(へんれいきん)、家に車が突っ込んだときにごねくりまくって手にした損害保険金。さらには、母親のタンス預金、妻の実家からの支援金など、カネと名のつくものはすべて子どもたちの学費と生活費に注ぎ込み、わが家の家計は文字通りスッカラカンとなった。

このときの心のありようは倒産間際の会社の社長の心境と同じで、毎日カネ・カネ・カネに追われるその気持ち、分かるなー。そして予想通りその後に貧乏になった。ただ、一筋の救いは借金だけはなんとか避けられたことで、本当にこれだけが救いだった。

こうしたわが家の大学をめぐる経済戦争は2009年に終わったが、それと並行して母の認知症が進んでいた。「四番目の子ども」となった母の世話はそれから6年間も続き、わが家に真の終戦が訪れたのは2015年末だった。以上、少し長々と述べてきたが、これまではいわば序章で、これからが本論である。

四年制大学で学ぶことの真の意味

それでは一体、四年制大学で学ぶということはどういうことなのか。これまでも、そして今でも一般には「大学で学ぶ=学問や教養を修める」と考えられている。教科書的にいうと、「専門的な知識や技術を身につけ、それによって就職という形で実社会に巣立ち、自分の夢を実現する」。しかし、こんなことを本気で信じて大学に進学する高校生など、今どきいるのだろうか。

私はこう考える。「大金を払って四年制大学に行くというのは、一種の投資である。投資であるならば、卒業して実社会で働くなかでペイしなければならない。また、大学で教える一般教養などというものにはほとんど価値はなく、自分の好きな分野を自分なりの方法で深めたものがその人にとっての教養である」。

私は古典といわれる外国の文学(小説)を読み漁り、また大学3年以降は日本と中国の近代化に関する思想書を読み、ゼミ生と議論してきたことで自分なりの教養(?)を深めたと思っている。そして大学で専攻した英語もJ通信社での仕事(経済ニュースの翻訳)で生きた。そうして身につけた経済・金融の翻訳スキルは、その後もかなりわが身を助けてくれた。その意味では、大学で学んだことは人生でそれなりにペイしたと思っている。

情報工学科で学んだことは十分にペイ

ところで、私の学習塾に来ていたS君は地元の普通高校を卒業したあと、私立の工業大学の情報工学科に進学した。そして大学卒業後にIT系の会社に就職したが、その数年後に私のところに遊びに来たので、こう聞いてみた。
「S君、大学で学んだこと、今の仕事でどのくらい生きていると思う?」
「90%くらいかなー」

この返事を聞いて私はビックリした。一般に法・経済、文学、教育など、いわゆる大学の文系学部を卒業しても、大学で学んだそれらの知識が実社会の仕事で生きることはほとんどないことは知っていたからだ。いくらIT系の学科でも会社の仕事で生かせるのは、大学で学んだことのせいぜい半分ぐらいだろうと思っていた。

私が中学・高校からパソコンが好きだった息子を工科大学の情報工学科に進むよう強く勧めたのは、S君とのあの会話が大きな動機になっている。そしてS君と同じように、大学で学んだことは今の仕事でもかなり生きており(本人に言わせると80%くらい)、その意味では大学の4年間は十分にペイしているようだ。

文系学部で学んだことは死に学問

ここで話を先の文系学部に戻すと、大学で学ぶ文系の学問や教養は実社会ではほとんど生きず、いわば死に学問になってしまう。また、企業側も学生を採用するとき、大学で学んだ専門的な知識や学業成績などはほとんど重視していない。企業が学生に最も求めているのは「コミュニケーション能力」といわれているが、具体的にそれがどのようなものなのかは説明しないし、また説明もできないだろう。

以上のように、半数近くの大学生が学生ローンである奨学金を使い、また地方の親たちもヒーヒー言いながら仕送りして息子・娘を東京の大学に進学させても、文系学部で学んだ学問や教養は、言葉は悪いがいわばドブに捨てられてしまう。また、企業側も学生の選考では大卒という学歴にはこだわるが、実際の採用基準はコミュニケーション能力、チャレンジ精神、協調性など、まったく説明もつかない抽象的なものばかりである。

親と学生が経済的に大きな犠牲を払い、またご立派な夢を掲げて高校生の気を引く大学ではあるが、今の日本のこうした悲しい現実を直視して大学に行かないと、大学で学んだことをその後の人生でペイさせるなんてことはとうていできないだろう。

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