直訳と意訳をめぐるテレワーク体験記

仕事・ビジネス

当時のテレワークの手段はeメールだけ

私は2000年ごろから10年ほどP社の主に株式関係の出版翻訳を手がけたが、同社の編集長A氏との打ち合わせや仕事の進め方などは、すべて今でいうテレワークによって行った。その当時は今では普通になってしまった「Zoom」などはなかったので、ツールはパソコンによるeメールだけだった。

Zoomは映像によるコミュニケーションツールであるが、eメールでのやりとりは「文字」だけである。そしてその内容も友人や知り合いなどとの軽いお話レベルのものではなく、ときには議論などにも発展するので、相手を説得できるような文章が求められる。

そのため、どのような方向に話をもっていったらよいのか、またどんな単語を使ったらベストなのかなどについて、よく頭を悩ませたものである。

翻訳における直訳と意訳

A氏とはいろいろな問題についてeメールで話し合ったが、よく議論の的になったのが翻訳における「直訳(ちょくやく)または逐語訳(ちくごやく)」と「意訳(いやく)」についてだった。翻訳におけるこの2つの違いについて、よく知らない人のために簡単に説明すると次のようになる。

直訳とは一言でいうと、「原文に書かれていることをそのまま忠実に日本語に訳す」ことであり、いわば元の言語(私の場合は英語)の一言一句をそのまま日本語に置き換えたような訳である。

他方の意訳とは、「原文の内容から大きく外れることなく、より自然で読みやすい文章を作るように訳す」といえるだろう。

小説や映画のせりふの翻訳についてはよく分からないが、私がしていたのは主に商品や株式の相場翻訳だったので、どちらかといえば直訳に近い翻訳だと思われるかもしれない。

また、P社の出版翻訳をやる前は経済や金融の実務翻訳を手がけていたので、いっそう直訳の翻訳者だと思われそうだ。しかし、私は自分では意訳の翻訳者だと思っている。

直訳と意訳に関する一般的な説明は以上のようなものであるが、実際にいろいろな株式投資関連書の翻訳に当たると、そうした説明の一般的なルールではまったく対処できないことがすぐにわかる。私はA氏に対して、よく以下のように主張したものだ。

「アメリカの株式投資書はけっこう分厚いものが多く(300~400ページ)、目を通してみると煩雑かつ冗長でくどい部分もかなりあります。内容的には2/3の厚さでも十分だと思うような本も多いですね。

それらの本のすべてを直訳したらとても日本語の本とはいえないものになり、日本の読者が買ってくれるとは思えません。したがって、そうした冗長なところはいわばまとめ訳にでもして、読みやすい日本語版にしてはどうでしょうか」

これに対するA氏の返答は、次のようなものだった。

「翻訳書は冗長な部分もあり、読みやすくまとめていただくのもよいのですが、テクニカル系の株式投資本には細かい部分に重要なことが書かれているので、ファンダメンタルズ系や読み物系の本のようにまとめると分かりにくくなります。

ただし、当社の監修者のNさんは翻訳書は原著者の作品だからすべて逐語訳にすべきだという意見ですが、すべて逐語訳がよいのかどうかについては臨機応変かつフレキシブルに対処すべきだというのがわたくしAの考えです。

つまり、Nさんが強硬に主張するような逐語訳には懐疑的なのです。それは本によってすべて違うし、それをルールやマニュアルのように文字にするには難しいという意味です。

100冊以上の翻訳書を編集してきて思うのは、『この本はこうだ』というのは結果としてしか分からないということです。ひとつの正しい結論がないというのが結論ですが、盛々男さんなりに検討していただき、お意見をうかがえればと思います」

eメールのやりとりで思考・文章力がレベルアップ

このようにeメールの内容はけっこう長く、またそれなりに論理的なものだったので、こうしたやりとりを行うことで、思考的にも文章的にもかなり訓練されたと今になって思う。

それ以降それなりに論理的にまとまった文章を書けるようになったのも、A氏とこうした議論を繰り返してきた賜物(たまもの)だったと感謝している。

今ではテレワークのやり方も多様化しているが、テレワークのツールがどのようなものであれ、自分の言いたいことを文字によってそれなりに論理的に相手に伝えることは、テレワークによる仕事の成否を決めるひとつのカギになるだろうと思う。

次回へ続く

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