新聞記者はつぶしがきかない?

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新聞記者の苦しい胸の内

明るい展望の見えない新聞業界で、記者が転職しようとしたとき、本当に「新聞記者はつぶしがきかない」のだろうか。

インターネットで調べていたら、若い元地方新聞記者が書いた「元新聞記者の再就職日記」を見つけました。それによれば、「いざ再就職をめざしてみると、前職の経験がまったく生かせないと感じることが増えました。…
なかなか厳しい現状を目の当たりにして、心が折れそうになります」とのこと。

また、「新聞ビジネス大崩壊(09)」の記事には、いろいろな年代の新聞記者が語った転職をめぐる複雑な思いや苦しい胸の内が紹介されています。40代後半に20年以上務めた大手新聞社を辞めたA氏。
「新聞記者は自分がサラリーマンであるという意識が、希薄なような気がします」

新聞記者とは特殊な職業?

30代半ばで大手新聞から地元の地方紙に転職したD氏。
「転職活動を始めて、記者がいかに特殊な職業なのかが分かりました。一般企業では当たり前のパワーポイントも使えないし、一般的な商習慣にもなじみがない。いろいろな業界にアプローチしましたが、結局、地元に帰ってもう一度記者をするしかありませんでした」

新聞記者の強みは、「取材力がある」「文章力がある」「ニュース感覚がある」と言われていますが、ほかの業界でこれらをアピールしてもはたして評価されるかどうか。

さらに新聞記者に決定的に欠けているのが、いわゆるビジネスの実務経験です。具体的には、エクセルなどのオフィス系ソフトを実際の業務で使ったことがない、営業や販売職では常識であるおカネを稼いだ経験がない-などです。

かつては簡単だった記者の転職

こうした新聞記者の現在の厳しい状況を目の当たりにすると、あの昭和はなんと古き良き時代であったことか。私はJ通信社を辞めたあとも、よく日比谷公園の市政会館内にあった同社の外国経済部に遊びに行きました。そして先輩・同期・後輩たちの話を聞くと、外経部の記者たちはけっこう転職していましたね。

先輩・上司の2~3人が短大の先生になったのをはじめ、ライバルの共同通信に行った人、テレビ局に引き抜かれた同期の友人。そして、1990年に東京支社を開設した米金融情報会社のブルームバーグには、何人もの後輩が中途入社していました。

今思うと、マスメディア全体がまだ好調で仕事も多く、多くの人材を求めていたのでしょう。もっとも、まったく業種の違う会社に転職したという話はあまり聞かなかったですね。そして、外国経済部からほぼ同じ業種の会社に転職していった人たちは、経済・金融英語の翻訳スキル+特派員の経験という有利な経歴を持った記者が多いように感じます。

J通信社でのスキルが身を助ける

それでは私はといえば、経済・金融英語の翻訳スキルと文章力は多少あったものの、取材や特派員の経験はなく、ニュース感覚もそれが身につく前に会社を辞めたというのが実情です。

ところで、J通信社を6年で辞めた理由ですが、田舎で1人で生活していた老母をそのままほっておけなかったのが半分、もう半分は記者という仕事が心から好きではなかったことでしょうか。特に社会部や政治部などでいつも記者たちがドタバタドタバタと走り回っているのを見るたびに、「あー、オレってやっぱり記者には向いてないなー」と感じたものです。

それでも会津の田舎に帰ってからも、学習塾や予備校で英語を教えるという単なる教師稼業だけでなく、フリーランスとして経済・金融・証券などの専門的な翻訳のスキルを生かせたのは本当によかったです。

今思うと、こうしたスキルを身につけられたのは、J通信社の外国経済部で上司から叱咤(しった)された6年間であり、その意味では本当に感謝の一言に尽きるのかもしれません。

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